闘病の記録
 
いくつもの試練を乗り越え本当に頑張り闘い抜きました。
 
夏に退院して海に行くことを張り合いに、病気と向き合い、
治ると信じて常に前向きでした。
 


 1    母の思い 訪問者の皆様へ
 
 敏行は本当に頑張って頑張ってがんばり抜きました。
最後まで意識をしっかり持って、闘い抜きました。
生きようとする気力は十分にあったのですが、体が白血病という病魔を倒すことができませんでした。
 
 でも……敏行は白血病になんて負けてはいません!
がん細胞を封じ込め勝ったんだと思います。
二度と敏行を苦しめることはもうできないのです。
 
 私は、このホームページで
こんなに頑張った敏行のことを知ってもらいたい。
敏行の人柄を多くの人に知ってもらいたい。
 
 18年と言う短い時間でしたが、親としてとても楽しい時間。
敏行が私の子供だったからこそ味わえた幸せ。
これからもずっと敏行とかかわって行きたい……
 
 大切な人をうしなった悲しみは、いくら言っても人にはわかってもらえないことを知りました。
 
 わかってもらおうと、一生懸命話すのに疲れました。
わかってもらわなくてもいい……と思うようになりました。
 
 それで今は同じ痛みを持つ、ここでなら私の気持ちをわかってもらえる
「あおぞらの会」と言う、遺族会に出席するようになりました。
 
 きっと全国のどこかに私と同じ気持ちの人がいる……
その人達と話がしたい……
これから先支えあって、励ましあいながら、前に進みたい。
 
 そして、今、白血病と戦っている人に、
私の知っている全てを教えてあげたい……
励ましてあげたい……
辛い気持ちを理解してあげたい……
 
 私はあまりにも白血病に対する病気の無知で、敏行を子供が出来ない体にしてしまった……白血病と言う病気を、病院で敏行に付き添いながら勉強しました。
私の息子は亡くなってしまったけど、元気に復帰している方はたくさんいます。
誰にも言えず苦しんで、悩んでいる人の力になりたいです。
 
 それでこのホームページを開設しました。
ここで出会った人は敏行が結んでくれた縁だと思います。
大切にしていきたいと思っています。
 
 掲示板を使うのにためらいがあったらメール下さい。
皆さんからのメールは私の元気にもなります。
待ってます。

 2    「急性リンパ性白血病」と診断を下され…
 
 平成16年8月31日 「急性リンパ性白血病」 と診断を下され、
10ヶ月間の壮絶なガンとの闘いに幕を閉じました。
18歳11ヶ月でした。
 
 高校3年の夏休み、小学校から続けていたバスケも引退し、
高校生活最後の夏休みをエンジョイしていました。
 
 「のどが変だ、風邪引いたかもしれない…」 と言うので
町医者に診てもらったら夏風邪だと言われ安心したのか、
高校の仲間と海でキャンプ。
一日置いて中学の仲間とまたキャンプ。 
祭りといえばどこへでも出かけて行きました。
 
 「WACK−C」 というロックバンドのリーダーを務め、ベースを担当していました。
8月27日のライブに向けて、スタジオを借りて夜遅くまで練習していたのですが、
その時には、足にいくつもの斑点が出来ていました。
この4日後に入院したのですが、かなりきつかったと思います。
 
 難儀 気持ち悪い めまいがする といいながら騒いでいたので、
私も 「遊び呆けているから治るのも治らないでしょ!」 と怒っていました。
 
 明日から新学期だという8月31日に県立病院で診てもらったら、 
 
「血液に異常が見られます。がんセンターへ入院の支度をしてすぐに行ってください」 
 
 信じられない現実が待っていました。

 3    過酷で壮絶な治療
 
 白血球が1万弱のところ15万にも増えていて、骨髄液の白血病細胞(がん細胞)が95%を占めているから正常な血液が減少している状態。
 血小板が30〜40万のところ3万しかないために足に内出血を起こしたらしいです。
もう少し遅かったら、頭の血管が切れてとめられない状態でした。
 
 治る確率は70〜80%…敏行にとっては 0 か100… 必ず治ると信じて疑いませんでした。
 
 15万という数は必ず再発するとのことなので骨髄移植をすることになりました。
 
 抗がん剤による化学療法で 「寛解 (治った状態) 導入」 をおこない、
地固め療法を繰り返したら骨髄移植にのぞむことになりました。
 
 幸い告知にもめまいを起こしただけで冷静でした。
 
「なったものは仕方ない。前抜きに頑張る!」 
 
 その言葉を聞いて凄く嬉しかったです。
先生の言う事は素直に聞き治ることだけを信じていました。
 
 薬による副作用で口内炎がひどく口の中の粘膜(ホッペの内側、舌、歯茎…)がえぐれ舌も腫れ、動かすことも出来ませんでした。
 
 私たちが口内炎が一つでも出来ていたら、しみてかなり痛いのに、
敏行の場合は口の中一杯にできていて、粘膜がやられ、えぐれていました。
想像を絶する痛みだったと思います。
 
 舌を動かせないから話もできず全く食べられない日が1ヶ月以上続きました。
 
 「お母さん、これ食べられなくても死なないよね?何にも食べられないけど死なないよね?」 
と言いながらも耐え抜きました。
食べたいのに食べられない…見ていて辛かったです。
 
 「お母さんはいいね…俺と代わって!今すぐ代わって!!」 と言われたときは、
本当に代わってあげたい…今すぐにでも代わってあげたい!!
なにもできない自分に腹が立ちました。
 
 ウイダーゼリーだけは、「痛い!!痛い!!」 と自分の腿を叩き、
冷や汗をかきながら、一気に飲み干していました。
「1個分のおにぎりのカロリーはとった。」 
とウイダーゼリーを飲んでいると敏行も安心できたようです。
 
 無菌室で血圧が200を突破して倒れてしまいました。
 
 私がほんの一時無菌室を出たときでした。
入室するのに手を洗っていたら、看護師さんが、
「高野君が倒れた!」 私はビックリして、看護師さんを押しのけ、
敏行のそばに急ぎました。敏行を抱きかかえ、
「敏行!敏行!」 名前を呼び続けましたが
「ウーウー」 とうなるだけでした。
意識を取り戻したときは、本当に嬉しくて…
 
 鼻血が何時間も止まらず、両方の鼻にガーゼが4枚ずつ詰められ、
口呼吸の為口内炎を起こしている粘膜が乾き、パリンと割れ、
口からも出血を起こしたときに大量出血による 「ショック状態」 を起こしてしまいました。先生が慌てて、「頭下げて!足高く上げて!」 敏行は意識がなく、全身汗をびっしょりかいて、本当にビックリしました。
 
 先生が、「今、高野君輸血を始めたからもう大丈夫ですよ。意識もはっきりしているし、体力と若さでショック状態に勝ったんですよ!」 敏行にはまだ底力があるんだと本当に嬉しかったです。
 
 度重なる危機を幾度となく乗り越え、そのつど一つ一つ克服してきました。
先のわからない不安、次になにが起こるか予測できない事態に直面しても
敏行は取り乱すこともなく、悲観することもなく、治ることだけを信じ、目の前にぶら下がる困難を、慌てずゆっくり一つ一つクリアしてきました。本当に強い精神力でした。



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