闘病の記録
 
いくつもの試練を乗り越え本当に頑張り闘い抜きました。
 
夏に退院して海に行くことを張り合いに、病気と向き合い、
治ると信じて常に前向きでした。
 


 4    抗がん剤とがん細胞の追いかけっこ
 
 抗がん剤でがん細胞を叩いて、白血球をゼロにしても、3週間でがん細胞が増えてきました。
白血球数がどんどん上がってきて、また抗がん剤で叩いてゼロにして…
 
 繰り返しているうちに耐性 (がん細胞が薬に耐えていて、今まで効いていた薬が効かなくなってくること) を起こし、使ったことのない抗がん剤を投与したのですが、またがん細胞が増えてきました。間隔がだんだん短くなってきて、1週間でがん細胞が増えてくるようになりました。
 
 3月からの抗がん剤治療を2ヶ月の間に何回繰り返したか…抗がん剤が効かなくて、がん細胞が増えてきているから、また違う抗がん剤を使うと、敏行に言うのが辛かったです。
 
 3回目くらいからは、とても私の口から言えなくて先生から言ってもらいました。
「まただ〜なんで?なんでまた増えるんだ?オレ大丈夫なんだ?」 
敏行もやりきれない気持ちで一杯だったのだと思います。
 
 このときの抗がん剤の副作用で口内炎がひどく、呼吸困難を起こすなど、
様ざまあらわれてくる副作用との戦いでした。
想像できないほどきつく、辛かったと思います。
 
 抗がん剤のダメージはきっとすごかったんだと思います。
抗がん剤は、がん細胞だけではなく、良い臓器までダメージを受けるので、
体は悲鳴を上げていたのだと思います。
 
 いつも冷静でしたが、なにを思い、なにを考えているのかと思ったら、
敏行の顔を見るのが辛かったです。

 5    子供が出来ない!
 
 「放射線照射が始まると、生殖機能がダメージを受けて回復が不可能になるから、大学病院に行って精子保存に行ってきてください。」 と先生に言われ、
保存に行ってきたらほとんど精子がなくて、ほんの数匹が元気に動いていたのですが、みんな奇形になっていました。
 
 結果は保存不可能。
 
 「俺、子供出来ないのか……。」
 
 子供が好きで早く結婚して子供が欲しいと言っていたのでかなりショックを受けていました。
 
 抗がん剤のダメージがもの凄くて、抗がん剤で精子が減っているなんて思いもしませんでした。
 
 何ヵ月後あるいは数年後に、精子が復活するかもしれないのに敏行には時間がありません。放射線をかける日にちが決まっているため、回復するのを待てません。
 
 精子保存の必要性がわかっていたなら、抗がん剤のダメージが少なかった入院した早い時期に行かせてほしかった。
 
 後でわかったのですが、体の外に出てくる精子は3ヶ月前のものだそうです。初めて入院したときに採っていれば抗がん剤のダメージが少なかったのに……
 
 白血病の無知で敏行を子供の出来ない体にしてしまった……先生を恨んだこともありました。
 
 「ってことは俺、結婚できねんかぁ……。」
 
 「10年20年後の不妊治療はすごくなってるよ!あきらめないで希望を持って頑張ろうよ!結婚だって必ず敏行を理解してくれる人がいるから大丈夫!」
 
 私たち親も、孫の顔見るまでは絶対あきらめない!!と決めていました。
 

 6    顔が動かない! 顔面神経マヒを起こす。
 
 一時退院の時、突然 「お母さん!右の顔が動かない!なんで?なんでうごかねんだ!俺もうヤダ!」 一生懸命動かそうとするが全く動きませんでした。
 
 パニックになってしまいどうしていいのかわからなくなっていました。私もただオドオドするばかりで、足が震えてやっとの思いでがんセンターに電話をして、とにかくすぐに病院に向かいました。
 
 病院に着いて、先生から診ていただいたら、「ベル麻痺・末梢性顔面神経麻痺」 で治るらしく、とにかく治ると聞いて敏行も落ち着き、私も安心しました。
 
 ところが、耳鼻科の先生に、「がん細胞が悪さしたんなら治らないなぁ」 と言われ、
検査したら、やはりがん細胞の仕業だとわかりましたが、主治医の先生は、
「悪いところを治すと絶対動くから大丈夫!でも月単位で見ていくしかないからいつ治りますよ。とは言えないけど、自然に動くようになるから心配いらないよ。」 とおっしゃっているのに敏行は、「どっちを信じればいん……」 治らないと言われたことにすごくショックを受けていました。
 
 何日たっても動こうとしない、ピクリとも動かない顔に苛立ちを覚え、「お母さん、笑うこともできないんだよ!寝るときも目が閉じないし、うがいするときも唇押さえないといけないんだよ!口がちゃんと開かないからご飯もたべにくい!わかる?」 実際寝るときに眼帯をしないと目が閉じないので、辛い思いをしていました。
 
 「俺、顔が動かないんなら、死んだほうがいい……」
 
 自殺でもするような落ち込みようでした。私も 「絶対治るから!先生を信じて頑張ろう!」 としか言えませんでした。
 
 何もできない……敏行の胸に届くようなことを言ってあげられない自分が情けなくて……。
 
 それから 4、5ヶ月して、自分でも気付かないうちに少しずつ動いていました。
ホッと安心したのもつかの間で、移植のための 「前治療」 を始めるための放射線照射の初日に、前回と反対側の顔が麻痺を起こしてしまいました。
これから辛い前治療が始まるのに追い討ちをかけて敏行を苦しめました。
 
 ですが、必ず動くことを確信していたのでクヨクヨ考えず 「俺前向きに頑張る!」 と言ってくれたのがすごく嬉しく安心しました



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