闘病の記録
 
いくつもの試練を乗り越え本当に頑張り闘い抜きました。
 
夏に退院して海に行くことを張り合いに、病気と向き合い、
治ると信じて常に前向きでした。
 


 10    記憶障害を起こす 病気よりも記憶が無いことが辛い……
 
 ドナーの骨髄が、敏行の体を異物だと思って、全身を攻撃してくるため、
敏行の体にかなりの負担がかかります。そのため、免疫抑制剤で、
ドナーの骨髄の攻撃をコントロールしながら、がん細胞と闘わせてせていました。
 
 放射線照射のときに、がん細胞は全身にめぐっているために、通常は放射線がかからないように頭をガードしているのですが、全て取り外し、頭にも放射線をかけたときに、脳をカバーしている薄い膜が破壊され、脳があらわになり、免疫抑制剤がじかに脳にしみこんだため、記憶障害を起こしてしまいました。
 
 移植したことも、高校をやっとの思いで卒業したことも、修学旅行で沖縄に行ったことも忘れていました。出血が止まらず、ショック状態を起こしたことも、血圧が上がって倒れたこともとにかく全部忘れていました。何度言って聞かせても今聞いたような言い方で、「えっ!倒れたん?どこで倒れたん?」 何度繰り返しても敏行の頭には残ってはくれませんでした。
 
 一番困ったことは、朝起きてから、自分がなにをしていたのか、自分が起こした行動も覚えていませんでした。今寝ていたか起きていたかもわからなくなっていました。
 しかたがないのでノートに何時に起きて、何時にトイレ行って、何時に歯磨きして、何時にご飯食べて…… 一日の行動を細かく書いて何度も読み返していました。
 
 辛かった記憶は忘れてもいいが、これからの記憶が残るのか心配でした。
 
 幸いなことに、親、兄妹、仲間の顔はしっかり覚えていました。身についたピアノ、楽譜はちゃんと読めました。携帯の操作はしっかり覚えていました。ただ、自分が起こした行動だけを忘れていました。
 
 「俺、病気よりも記憶がないことが辛い……」 「頭の中に霧がかかっているようで、モヤモヤして変だ……お母さん頭の中の霧どうにかして!」
 
 本当に私もどうしていいのかわからなくなってしまいました。とにかく時間をかけるしかない…
 
 あせって必死に思い出そうとすると、頭が混乱してパニックになってしまい、血圧が常に高いためいつ倒れてもおかしくないない状態だったので、興奮させないようにするのが本当に大変でした。
 
 指を動かすと脳に刺激になっていいかもしれないと、抗がん剤の副作用で手が震えて上手く弾けなかったのですが、リハビリのためにキーボードを毎日弾いていました。
 
 自分の身になにが起ころうとも、とにかく治ることだけを信じて、頑張りました。

 11    再発 亡くなる前に日 4ヶ月ぶりの家への外出
 
 亡くなる前の日に朝、先生に血液中のがん細胞が 4割になり 【再発】 と言われました。
 
 「敏行君の生命力と、奇跡を信じましょう!」
 
 敏行は、いつもと変わらずちゃんと話もするし全く普通と変わらないのに……「今、危篤ってこと?」 先生なに言っているんだろう?理解できませんでした。最悪なことを言っているんだろうと、全く危機感が伝わってきませんでした。
 
 後で言われたのですが、医師が、生命力、奇跡という言葉を使うことは、精一杯私たちに危ないと言うことを伝えていたのだそうです。私は、わかることができませんでした。
 
 主人が、「3月からの入院で 1度も家に帰っていないから連れて帰りたい。」 と先生にお願いしたら、熱が39度もあり、鼻血が止まらない状態なのに先生は、ちょっと考えて外出の許可を出してくれました。こんな状態なら普通は絶対許可できないと思うのに、許可をしてくださいました。
 
 先生も仲間や、家族と会って、自分の持っている免疫力が高められれば、奇跡が起きるかもしれないと、思ってくれたのかもしれません。
 
 「敏行!今日家に帰ってきてもいいって!!」 「えっ!?なんで!?なんで帰ってもいん!?」 「まだまだ治療が続くから、今のうちに一度家に帰ってきなさい。だって」 「帰る帰る!!」 とても嬉しそうでした。こんなに元気なのだから敏行は絶対大丈夫!
 
 ウキウキして支度をしている姿が忘れられません。
 
 家に向かう車の中で仲間に、「これる人みんな誘って家に来て!!」 とメールをして誘っていました。
 
 家に着いてしばらくして仲間が男女5人すぐに駆けつけてくれました。みんなとご飯を食べて、楽しく過ごしました。午後8時 おじいちゃん、おばあちゃん、仲間に見送られながら、親子5人で車に乗り込み病院に戻りました。
 
 これが本当に仲間との、最後の別れになってしまいました。
 
 短い時間でしたが、仲間と楽しい時間をすごし、本当に嬉しそうでした。
連れて帰ってきて本当によかったです。

 12    母の腕の中で星に変わった日
 
 朝、いつもより早く目を覚ましましたが、「まだ早いからもう少し寝ていていいよ。」 
敏行はまた眠りにつきました。
 
 いつもの時間に看護師さんが検温に来て、敏行は起こされ、検温、血圧、体重をはかり、いつものようにことは過ぎ、先生の回診も何事もなく終わり、いつもの生活に変わりはありませんでした。「敏行、ご飯きてるけど、食べられそう?薬も飲まないといけないから、少しでも食べたら?」 「いらない。後で食べる。薬も後で飲む。」 食べたくなかったのか食べようとしませんでした。
 
 突然 「お母さん!足首が動かねぇ!なんで?なんで動かねんだ!」 「お母さん足まげて!まげて早く!」 なにが起きているのかわからないうちに、敏行の要求どおり膝を折って曲げてやり、両脇にクッションを置いてやりました。
 
 何分もしないうちに、「お母さん足のばして!のばして早く!」 私は、言われるままにクッションをとり、足を伸ばしてあげました。
 
 「背中が痛い…お尻が痛い…足が痛い…」 「どんな風に痛いの?」 「痛いんじゃなくてだるい…」 身の置き場がないようで、一時もじっとしていられず、あっち向いたりこっち向いたり…かなり辛そうでした。
 
 看護師さんが敏行の様子をみていて、心配になったのか、敏行の体に器具がつけられました。心電図、おしっこの管、酸素マスク…
 
 看護師さんに 「お父さんに来てもらったほうが安心かもね。」 といわれ、お父さんに連絡を取りました。
 
 だんだん敏行の呼吸がおかしくなってきて、慌てて敏行の頭を抱きかかえ、「敏行頑張って!」 「うん…」 「お父さん今来るから頑張って!」 「うん…」 「みんなが待ってるんだよ!家に帰るんだよ!」 「……」 返事がありませんでした。
 
 嫌な息づかいは続いていました。抱きかかえている別の手で、敏行のほほを叩きながら、「敏行!敏行!」 敏行息していない!!
 
 その時たった一粒の涙がほほを伝いました。
 
 私は敏行を力強く抱きしめ泣きました。
 
 お父さんが泣きながら駆け込んできて、「敏行…お父さんが絶対助けてやるって言ったのに助けられなかった…敏行まだあったかいねっか…」 無念の涙を流していました。
 
 主治医の石黒先生も、「よく頑張ったな。」 と敏行の頭を撫でてくれました。
 
 石黒先生……泣いていました。
先生は敏行を救おうと、全力を尽くしてくれた…先生も悔しかったのだと思います。
 
 敏行を助けようと全力を尽くしてくださった主治医の石黒先生、看護師の皆さん本当にありがとうございました。



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