闘病の記録
 
いくつもの試練を乗り越え本当に頑張り闘い抜きました。
 
夏に退院して海に行くことを張り合いに、病気と向き合い、
治ると信じて常に前向きでした。
 


 7    俺、看護師になる。専門学校看護科見事合格!
 
 入院して間もなく進路の決定をせまられていました。本当は、大学の看護科に行きたかったのですが、治療の都合で1月のセンター試験が受けられないとわかり、看護科の専門学校に行くことにしました。
 
 自分が病気になって、初めてわかった健康のありがたさや、命の重さ、尊さを知ったからこそ看護師になりたいと思ったようです。
 
 一時退院したその足で試験会場に向かい、小論文と面接を受け無事終了しました。
 
 病院では、ほとんど病室から出られずベッドの上での生活だったため歩くのも辛かったと思います。
 
 後日 「合格」 通知をいただき、この学校に入学することを張り合いに頑張りました。
 
 次に入院したときに先生、看護師さんたちに合格の報告をしたら、皆さんすごく喜んでくれ、「高野君、患者さんの痛みや、気持ちが良くわかっているからいい看護師になれるよ!男の看護師はすごく頼りになるんだから絶対この病院にきてよ!」
 
 病室に来る看護師さん皆さんに言われて、敏行は照れていたけれど、すごく嬉しそうでした。
 
 私もどんな看護師になるのかすごく楽しみでした。

 8    免許習得
 
 発病前に、自動車教習所に通っていて、後もう少しで卒業検定というときに入院をしてしまいました。
 
 12日間の一時退院の時に、頑張って教習所を卒業することができました。
卒業すれば、免許がほしくなるのは当たり前なのですが、今敏行に無理をして欲しくなかったので、「退院して元気になってからでも遅くないから。」 と言ったのですが、どうしても免許センターに行くと聞かず負けてしまい、免許センターにいき一発合格してしまいました。
 
 一時退院の限られた時間でしたが、毎日のように車を運転して仲間とドライブに出かけていました。
 
 今思うと免許を取らせてあげて本当によかったと思っています。

 9    骨髄移植 放射線照射 大量抗がん剤投与 がん細胞もろとも骨髄破壊!
 
 移植のための前治療が始まりました。
 
 4日かけて6回の全身放射線照射。
 
 膝を曲げた状態の体の寸法を測り、身動きできない透明なプラスチックの箱の中に入り、左側からと右側からに分けて全身放射線をかけました。
人間にかけてもいいギリギリの量です。
 
 最終日に無菌室(クリーンルーム)に入室し、大量抗がん剤投与。
 
 通常の5倍の量の抗がん剤を投与し、移植のための 「前治療」 を終えました。
この時点で、がん細胞もろとも骨髄は破壊され、自分では血液がつくられない状態になりました。
 
 もしドナーの方に何かがあったら敏行は死んでしまう…手元に届くまで不安でしかたありませんでした。
 
 ドナーの心のこもった骨髄が 一滴一滴 敏行の体に注がれていきました。
ドナーの方には本当に感謝の気持ちで一杯でした。
ありがとうをいくつ重ねても私の気持ちには追いつきません。
 
 本当に本当にありがとうございました。
 
 移植をした5月17日は敏行の大切な第二の誕生日です。
 
 敏行が生まれ変わった日。一生大事にしたい日です。
 
 生まれ変わって42日しか生きられませんでしたが、少しでも命をつないでくれたことを本当に感謝いたします。
 
 ありがとうございました。
 



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